年明けから、3月の演奏会に向けての練習が続きます。いわゆるクラシック曲は、やはりメロディも和音も美しい。演奏はやさしいようで、やっぱりむつかしい。
通常の土曜夜に続いて、日曜日の一日練習です。客演指揮者を迎えての合奏練習ですが、土曜日は楽譜の間違いやら、個々の練習不足やら、とにかく散々。おまけに日曜日は、事前の告知が不十分だったこともあって、さらに参加者がいつもの半分。音も揃わず、せっかく東京からきていただいている指揮者の方からも、「もったいないですよ」と言われる有様。これはいけませんね。
聞くところによれば、団員の同級生という縁で、プロの指揮者に客演をお願いするようになって5年目になるのだそう。だんだん慣れてきて、少し良くない状態になっているようです。
土曜夜は二時間半、日曜日も午前午後と、同じ曲。まったく先へ進まない。できないのだから当然といえば当然。指が回らないというような単純な問題ではなく、フレーズやコード進行の感じ方だったり、いわゆる音楽性の問題。もちろん個人の、というよりは、指揮棒をみたり、まわりの音を聞いて合わせようとする合奏力に起因するものということはわかる。要は注意力集中力ということ。これがなければ、そりゃどんな指揮者でもどうにもならないわなあ。
〈合奏練習曲〉
吹奏楽のための序曲 メンデルスゾーン
指揮者と演奏者の関係は、様々あるようで、いわゆるスクルールバンドでは先生と生徒となるけれど、市民バンドではちょっと違う。今日の練習でも、「教えにきているのではないのだから、一緒に音楽をしよう」と何度も言われる。確かに、アマ団体は年齢も経験も様々な団員がいるわけで、報酬をもらうプロではないというだけ。技術や音楽の知識はプロにははるかに及ばないけれど、音楽を演奏しようというプロセスでは、アマもプロも同じ。何しろ、演奏会では入場料をいただくのだから、これはプロと同じ。
そういえばいくつかのバンドの様子をみていると、指揮者の指示に対して、ものすごく元気?に「はい!」と返事をするのが通例になっているところがある。返事をするには当然だし、それはそれでいいのだけど、その返事がまるで体育会系と言うか、軍隊式というか。これでは指揮者が絶対権力者になってしまう。言葉でも指揮棒でも、指揮者の指示に対する返事は、演奏で返すのが常識だとおもうのだどね。もっとも胸を張って主張できるほどの演奏力もないし、対抗できるほどの音楽性もないけれど。
指揮者だけではないけれど、多くの人に指示をしたり、みんなの考えをまとめようとするには、一方的に押し付けるのはかえって逆効果。理由もわからず強制されれば、一時的に従ったとしても,すぐに反発したり、やらなくなってしまう。一部の運動の
ように身体で覚える!ということが有効なものもあるだろうけど,それもよほど小さな子供達ならともかく,大人には無理。学校の先生が一番わかっていそうで,一番できていない指導の根本かも。
そういえば上手な指導者は、例え話がうまい。例え話ができない指導者は、本人がわかっていないか、怠けている。先日見たtv番組での小沢征爾の練習風景でも、いろんな話をしている。聞いている団員がみんな楽しそうだったのが印象的だった。
それにしても今日は寒かった。いつもと違う公民館の会議室で,参加者も20名ほど。エアコンが修理中で石油ストーブが二つだけ。指もともかく,足元が冷えて寒いこと寒いこと。普段なら吹いているうちにあったかくなるのだけど。
雪が10センチほども積もるなんて。次の練習日までには,コード進行を意識したフレーズ練習と,カイロの準備が欠かせません。