齊藤正高です。
一応、専門は中国哲学です。
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(雑感)
今日のデータ構造の話を聞いて、『認識とパタン』という古い岩波新書をひっぱりだしてきました。
途中の数式はとばして、
「みにくいアヒルの子の定理」=「すべての二つの物件は、同じ度合いの類似性をもっている」
という話を思い出しました。
あの類似よりこの類似を重要とみなすのは「生活に対する有用性」のちがいだそうで、
この有用性をつくりだしてきたのが「進化」だということです。
グランドセオリーとしての進化論のようなことを言っていて、いまさらながら感歎しました。
つぎに、本棚にしまってあった、『心の先史時代』 という本をとりだしてきて、
ホモハビリスやネアンデルタール人には個々のフィールドの知識をほかに応用する
「認知的流動性」が乏しかったという話を読み返しました。
それで、人間は区別を(有用性によって)区別して生き残ってきたけれど、知能は
区別を(抽象化してほかに応用することで)とりはらって発達してきたんだろうか?
などと変なことを考えています。

By sryo