2週間ぶりに合奏練習に参加した。
つまりは、楽器を吹くのも2週間ぶりということ。少しは自宅で吹いてみるのだけど、狭い自宅と、合奏の中では、まったく響きが違う。自宅でできていた【様に思える】パッセージも、合奏ではみじめなほどうまくいかない。
エキストラの参加も多く、久しぶりにティムパニにやらドラムセットまであって、いつもならゆったりするリハーサル室もいっぱい。最前列のクラパートは、隣同士もくっつくほど席が近くて身動きが取れない。そんな中で、いつもに増して音符で真黒な楽譜と格闘すること2時間。すっかりへとへとになりました。倍のテンポでなら何とか指が回る程度では、とても合奏についていけません。これは練習して何とかなる範囲だろうかと思ってしまう。
コンサートの選曲や照明効果などの企画係の人たちは本当に大変そう。自分の練習以外に、仕事がいっぱい。おまけに自分たちで決めたことを実現するには、あちこちとぶつかることもある。
学生時代の友人から、所属する音楽研究室が封建的で息苦しかったと聞かされたことがあるけれど、極めて組織的に統制された楽団という組織は、封建的になってしまいやすいのかもしれない。なにしろ、指揮棒一つですべての進行が管理されるし、楽譜という絶対的な指示書に従うことしかできない。軍楽隊から発展した吹奏楽は、楽器ごとの独立性も強く、なおさらその傾向が強くて、逆に全体ではまとまりにくいのかも。
社会人楽団ともなれば、なおさらそれぞれの思いが異なるし、運営するのは本当に大変そう。なかなか自分で買って出るほどの技量もないけれど、ちょっと考えてしまうこの頃です。
同じ楽団でも、合唱団では、4パートしかないこともあってか、それぞれの声を合わせることに集中するし、みんなで一つの歌詞に込める思いを共有しやすいから、仲間意識が強くなるような気がする。