直木賞を受賞した朝井リョウの「何者」を読んだ。
書評はあちこちにあるが、現代の学生たちの就職活動をテーマに、自分は、そしてあなたは何者かと問う。ツイッターにつぶやく短文で、自分を見つめ、他人を観察する。
結末はない?が、若い学生たちの現実を知ることができる。平易な文章ゆえ、一気に読める。
それにしても、なんで日常の見たこと、感じたことを、その場でつぶやくのだろう。いや、ただつぶやくのではなく、文字にしてネットで公開するのか。それも裏アカウントまで使って…。
ツイッターをやらない自分には遠い世界のような気がする。とはいいつつ、こうしてブログに書き残す。これも同じなのか。
就職活動に苦悩する学生たち、さまざまな鎧で身を固めないと怖くて仕方がない若者。それはいくつになっても同じ。名刺でしか仕事できない大手企業のサラリーマンたちと同じ。ただそれに気づいているかどうか。面接試験で駄目だしされるたびに、自分の無力さに直面する若者たちのほうが、自分が何者なのか、わかっているのかもしれない。
作者が問いかけているのは、若者に対してだけではない。だからこその直木賞なんでしょう。
アパートの一室に集う若者たちの生のやり取り。傷つきたくない、傷つけたくないと本当の交流を避ける表面的な友人関係から、真の友人関係へと変わるのは、やっぱり自我なのだろうなと思う。自分って何者?
ただそれはいくら探したって見つからない。自我は作るものだから。
自分さがしなんてやめたらいいねん、自分の背中は見えへん、というCMの言葉は、まったく真実です。そんなことを思い出した小説でした。